私事の目標
どうも、月海創です。
最近、お金を稼ぎたいなーという気持ちの中、様々な実用書を読んでいる無為な男です。
自分、8/1からネットでの小遣い稼ぎをしてみようかなーと思いまして、頑張ってみます。
そこで目標なんですが、言っといたほうがヤル気に繋がると思いまして
平均月収2万達成:バイト辞める
↓
年収400万達成:一人暮らし
↓
貯金6000万達成:その時の職を辞職
↓
平均年収2000万達成:六本木に移住
↓
more and more...
ってとこでしょうか。基本的にはこの順序は変えません。つまりもしも年収2000万達成しても貯金が6000万になってなかったら退職しません。どうせ途中でバイクだ旅行だと浪費が入るんですから年収2000万達成の方が早い気すらします。
でも、ヒル・ナポレオンは言ってました。
「人の心が思い描き信じられることは、すべて実現可能である」
できると信じ、トライアンドエラーで自身を売り込んでくしかないんです。信じ、心の信じるままに突き進めばいつかは成功を生みます。
頑張ります!
終わり
私事の恋愛の話
ありがとう。かつて愛した人。
そしてさようなら。
ありがとう。君の人生に幸があることを望んでます。
あなたを向上させる単純なこと
どうも。月海創です。
試験勉強や二重失恋など修羅も血反吐を吐くような精神ダメージを負ってますが元気です。嘘です。ストレス症状出てます。
人生の失敗や試験勉強を繰り返してるとつくづく痛感することがありますね。
大体の問題は、1つの手法で解決に導くことができる。
失敗するじゃ無いですか、当然ですよ。人間だもの。でも次は失敗したく無いじゃ無いですか。当たり前ですよ。人間だもの。
でもここで重要な教えってのは隠れてますね。
「トライアンドエラーこそが最速で物事を解決に導く」
あ、いや、一世一代の大勝負に失敗しろと言ってるわけじゃ無いですよ。ただ、人生でそんな大勝負は数えるほどしか無いんです。でもせいぜいプロポーズと離婚申請ぐらいです。
大体の問題は、「失敗して反省点を洗い出し、その反省点を活かして次の挑戦をする」ことで解決が望めます。
超絶有名なのはPDCAサイクルって奴ですよ。
なんでこれが有名なのかって、大半の成功者はこのサイクルの上でトライアンドエラーを繰り返してるからです。
「失敗を恐れて挑戦しない」のならば、「失敗することもないけれど成功することもない」です。
有名なジョークがあります。
「レースで勝つのはレースに出ている馬」だと。
どの実用書でも言葉は違えど書いてあります。
努力量こそが成功への道でしょう。
おわり。
恋愛事
高校の後輩が婚約した。めでたいね。
でもね、彼、まだ20らしいの。
流石に非常識を容認できる生き方しててもビビったよね。
その報告見たとき、俺好きな女の子と渋谷でデート中だったんだけど。いきなり吹き出して(ああ、なんかまた面白いもの見つけたんだな)みたいな目で見てくれたよ。普通幻滅しない?好き。
なんかめっちゃ気があうし、物凄い大好きだかららしいね。コレはいい若気の至り。樹木希林だって、歳食うと分別ついて結婚できなくなるって言ってた。周りにバカにするようなやつはいないから是非とも幸せになってくれ。
さてここから。
きっとコレは「運命」って二人は言うんだろうね。
じゃあ運命ってなんさね。正確な定義を教えてくれ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/運命
人の意思を超えた何か。
なるほど、確かに同じ年に同じ学校の同じ学部に行ったんだから、こりゃ間違いなく運命と言えるだろうな。桜蔭の制服着てまで(違うとこだっけ?)浪人した甲斐があったな。
いいや、どんづまった。結局は運命だって後付けだしね。
付き合うということ
僕は前の彼女で酷い目にあった。
人生哲学的な何かが決定的にずれていたからこそ、互いに無茶な要求じみたことまでしてしまい、ただただ疲弊するのみだった。
ちょっとやそっと話したくらいじゃ、人生観などわかるはずもない。付き合って、深く話し、やっとこさわかろうというものだ。僕が人生観を語るのはもはや友人となった奴らだけで、付き合った時は僕は猫を被っている。
というわけで、つい最近、大学の気になっている女の子と渋谷でデートした。そこで色々話してわかったのは、女子は勝手に人生観を喋ってくれるということ。そうだ、何も自分の人生観を知ってもらおうとする必要はない。
そして、その女の子とは人生観が合わないことがわかった。
そう、一回デートにでも誘って人生観でも話して貰えばいいとわかったのだ。
一回のデートくらい重荷ではない。その勇気ぐらいあれば余裕で恋愛できる相手を選別できる。
果たして自分に、女性を選ぶ権利などありはしないのだが。
悪人
僕は悪人である。そう信じたい。
考えている事は俗世的であり、極めて欲にまみれている。異性を見れば性交を、裕福そうなサラリーマンを見れば強盗を、食事処では暴食を思考の中空へと浮かばせる。欲しいものは過多であり、我が身にそぐわぬ物まで欲する始末。
されど果たして度胸はない。悪人たる行動は社会的に悪人である人が成してくれるのであり、僕自身が社会的評価を下げる必要はないと言い聞かせながら小心のままに生きるのである。
行為のみならば善人、それ故に人は僕を善人と呼ぶ。正しく行為は善人であり、それは僕の生き方として真っ当とも言える。
されど、心中は悪魔のような混沌をなしており、これこそが偽善なのだとと自嘲する。
自分の思うがままに生きられず、他者の評価を気にすることでしか生きられないのならば、やはり僕は悪人である。
ただ、そう信じたいだけなのだが。