月の海から

雑文過多の日記帳

付き合うということ

僕は前の彼女で酷い目にあった。

人生哲学的な何かが決定的にずれていたからこそ、互いに無茶な要求じみたことまでしてしまい、ただただ疲弊するのみだった。

 

ちょっとやそっと話したくらいじゃ、人生観などわかるはずもない。付き合って、深く話し、やっとこさわかろうというものだ。僕が人生観を語るのはもはや友人となった奴らだけで、付き合った時は僕は猫を被っている。

 

というわけで、つい最近、大学の気になっている女の子と渋谷でデートした。そこで色々話してわかったのは、女子は勝手に人生観を喋ってくれるということ。そうだ、何も自分の人生観を知ってもらおうとする必要はない。

 

そして、その女の子とは人生観が合わないことがわかった。

 

そう、一回デートにでも誘って人生観でも話して貰えばいいとわかったのだ。

 

一回のデートくらい重荷ではない。その勇気ぐらいあれば余裕で恋愛できる相手を選別できる。

 

 

果たして自分に、女性を選ぶ権利などありはしないのだが。